明日は、ソトアソビ

私がソトアソビで経験した失敗、悩み、そしてちょっぴり楽しかった事を書いています

サクラ、三月、散歩道‥‥

さて、今回は日々想うことを
エッセイ風にまとめたのでお付き合いを

 

目次

1、ううっ、まだ寒い…
2、「お水送り」という神事
3、なぜ「水」なの?
4、そんな時に釣りに行かなくても
5、やっぱり行くよね!

1、ううっ、まだ寒い…

水ぬるむ弥生の初めには、私の住む若狭にも時々寒波がやってくる。この寒波は「もうすぐ春やぁ」と思っていた身体を戒めるようなものになっているし、膨らみ始めたサクラのつぼみも心なしか身を縮めているように見える。
季語にも「残寒」という言葉があり、「残暑」と同じく季節の揺り戻しを表現している。
ただ残念なことに最近は携帯のサイトをチェックすれば、何時この「残寒」があるか間近になれば判ってしまう。衛星写真の動画や東アジアの天気図を見ていれば、「あ、来週あたり寒いなぁ」なんてことはすぐ判ってしまう。
科学の進歩は、身体で季節を感じる風流もへったくれも無いのである。空を見て、雲を見て、そして風を肌で感じて四季を覚えた風景は、遥か昔の事になってしまったのかも?

2、「お水送り」という神事

            参照「obamanabi」
で、「残寒」の頃なのだが、若狭国一宮(若狭比古神社)の別当寺院・神宮寺では春を告げる「お水送り」という神事が毎年行われている
まだまだ寒い時期なのに(だから)、春を告げる神事なのだ。
しかしお水送りを「春を告げる神事」といい始めたのは、つい最近(数十年前)にマスコミが言いはじめただけで、神事そのものに季節がどうのこうのという意味合いは無い。
この「お水送り」は東大寺の「お水取り」と対を成すものであるが、当然のことながら、歴史を紐解くと後者の方が遥かに歴史があり、最初はなんと天平勝宝四年(752年)に行われたと記されている
それ以来、戦争があろうが天災や火災があろうが不断無く行われて、千三百回近く行われているというのだからすごい。それに比べると「お水送り」の記録は約三百年前からくらいなので、本家本元と比べられると、ちと気恥ずかしい。
まぁ、あと五千年か一万年続けば少しはその差も縮まると思うが、その頃には私もあなたも墓石さえ無くなり、そして日本すら無いかも知れない。ずいぶん気の長い話だが、それくらいの方が話として面白い。

3、なぜ「水」なの?

ところで肝心の「水」。何故、若狭から奈良へ水を送るのか???
「水より酒の方がええんちゃうの?」と思ったりもする。奈良盆地を流れる大きな河川は大和川吉野川があるのだが、何れも平城京のあった奈良市周辺には流れ込んでいない。当然ながら、古代最大の都市は水不足になる。
だから「水」なのかなぁと思ったりもするが、伝承では東大寺二月堂の十一面観音に供えるためだったらしい。つまるところ、量より質なのか?
質と言うなら、春日大社の周辺に広がる春日野あたりには良い水があり、「春鹿」という銘酒があるのになぁ。とも思ったりもするが、当時はまだ(春鹿の)水脈が判らなかったのな?とも思ったりもする
つまるところはっきり判らない方が、神秘性があってロマンを感じるという曖昧な所に落ち着くのが日本らしい。

4、そんな時に釣りに行かなくても

じゃあ、何故「水」を送らなければならないはめになったのか?
張本人の遠敷明神(若狭比古神社の祭神)は釣りにうつつを抜かして、東大寺二月堂の修二会に遅刻してしまった。それが原因で、千三百年間も若狭から奈良へ水を送らなければならなくなってしまった
ホンマにチョー迷惑な神様である。まぁ、時間にルーズなあたりは若狭地方では親近感があるが、大事な神事に遅れるとは水を送るくらいでは済まないだろう。
差し詰め、神様のリストラリストのトップに載りそうである。そして、天照大神に「伊勢に来い」と呼ばれてしぶしぶ行くと
「遠敷明神君。君は大事な神事には釣りが原因で遅刻したので、明日から神様の地位を返上してもらうよ」と言われそうである。

5、やっぱり行くよね!

しかし、彼の気持ちも判らないでもない
実際、弥生の声を聞くと、もうすぐサクラが咲くと思うと心も身体も浮かれてしまう。そんな時には、釣り好きはやっぱ、竿を持って海へ行くでしょう。
東大寺の二月堂で大事な神事があるのは知っている。でも、その前にちょっとくらいなら、大好きな釣りが出来るかも…?
上手くいけば晩酌用のメバルくらいは釣れるかも?いいかげんな神様だが、言葉を換えれば愛すべき日本の神様は多神教で大らかなのだ。
そんな懲りない神様は、百年経とうが千年経とうが、きっと今年も「ちょっとだけ」と言って、騒がしい世情を横目で見ながら、そして自分のミスが原因で始まった「お水送り」の準備を横目で見ながら行くのだろう。
鼻唄でも歌いながら、使い古した竿を肩に。新酒の入った瓢箪を腰に、赤ら顔をしていつもの川沿いのサクラが芽吹き始めた散歩道を、ぶらぶらと海へ!

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